バスチーユ広場


 随分昔に見た夢。
 恋人から連絡があったのは本当にひさしぶりのことだった。恋人からの連絡が久しぶりというのは定義矛盾のようだが、まあそれは夢の中のことだからしかたない。前日電話が掛ってきて待合せ場所を決めた。通いなれた駅とその場所を頭の中で思い浮かべ、そこへの道筋を何度も反芻した。確認しすぎるということはない。僕は彼女と会って、どうしても話さなければならないことがあるのだ。それがなんなのか今は良く分からないけれど、あまりにも大事なことなので会えばきっと思い出す筈だ。午前中に仕事を一つ片付ける。約束の時間の正午前にはそこに着ける。十一時過ぎ。最寄の駅まで緑の電車で三十分もかからない。時間はたっぷりある。電車に乗って老人の隣に腰を下ろす。読み掛けの本を開く。さて、その前にもう一度待合せ場所への道順を確認しようとして愕然とした。えっ、どこだっけ、そんなバカな。その場所がどうしても思い出せないのだ。最寄りの駅がどこだったかも思い出せない。渋谷だったような気もするし目白のような気もする。メモは残していない。山手線はぐるぐる回る。

 彼女への連絡はもうつかない。その夢の世界には携帯電話は存在しない。誰にも確認のしようもない。電車は恵比寿駅に近づいている。高架から見下ろす街並みと人波は無機質に右から左へ流れていく。どうしても話さなければならないことがあるのに、それがなんなのかも結局は思い出せない。次はいつその娘と連絡が取れるのかも分らない。空は低くどんよりと曇ったまま街を圧迫している。もうすぐ雨が降りだす。

 そんな夢だった。