ポルト・ド・ベルサイユ


夢の中で手紙を書いた。

『前略

今朝、久しぶりにあなたの夢を見ました。

 体育館かスタジアムのようなところでパーティが開かれていました。百人近い人たちの中には、見知った友人も何人か見かけました。あなたの細く長い姿も一瞬見かけたのだけれど、すぐに人ごみの中に見失ってしまいました。日曜日の午後。カーテンで陽光を遮られた会場は薄暗く、煙草の紫色の煙がインディアンの狼煙のように何本も立ち登り、それが僅かな隙間から漏れてくる西日を受けて、ゆらゆらと渦を巻いていました。壁際には四人がけのテーブルと椅子が並べられ、一つ一つのテーブルの表面は中央を強調された照明で黒く輝いています。私はワイングラスを片手に、何人かの友人と軽い会釈を交わしながら会場をゆっくりと歩いていました。やがて、あるテーブルに腰掛けているあなたを見つけたのです。我々は三十歳前後で、我々の距離は五メートルも無かったと思います。あなたは私の存在には気付かず、うんざりするような表情で、執拗に話しかける隣の男から目を逸らせていました。流れる人ごみに遮られながら、私はあなたの横顔を密かに見つめていたのです。突然、あなたと話していた隣の男が立ち上がり、あなたの方に身を屈める仕草をしました。あなたにキスをしようとしているのです。とっさに私は男に駆け寄り、左の頬に私の右の拳をめり込ませました。拳の薬指の付け根の軟骨がグシャリと潰れる音と、彼の鼻の骨が折れる音が聞こえました。殴る瞬間、もしかしたか彼はあなたの配偶者か恋人かもしれないという思いが脳裏を掠めましたが、動き出した身体はもう止まりませんでした。後ろ向きに倒れこむ男には見向きもせず、私はあなたの方に目を向けました。それはあなたではなく、濃い髭剃り跡を残した顔に薄っすらと化粧をして、紫色のワンピースを着た男でした。振り向くと鼻から流れる血を抑えながら床に倒れこんだ方の男が、私を見てにやっと笑っていました。

 私は急ぎ足で会場のスタジアムから出て、隣の器具置き場に入りました。そこには丸められたマットや跳び箱や平行棒が重なるように押し込められ、奥のほうにはバスケットボールのゴールが数台整然と並べられていました。左の壁際の長いすでは、黒人の女性が赤ん坊を寝かしつけようとしていました。私はその黒人の邪魔にならないように、彼女と反対側の壁の窓を開けて、煙草を一本吸いました。煙草を吸い終わって外に出ると、夕陽の残光に霞む遠い山を背景に、街の乱立するビルのシルエットが黒々と輝いていました。スタジアム前は銀杏並木が続き、煙草の煙で息苦しいパーティ会場から、何人かの人達が外気を吸うために出てきて立ち話をしています。やがて、あなたはそこに出てきたのです。今度ははっきりあなただと分りました。あなたは出口で少し立ち止まり、右へ曲がるのか左へ曲がるのか迷っているようでした。私は少し動揺していていたようです。自分の心臓の鼓動が聞こえるような気がしました。あなたはゆっくりと近づいてくる私に気付き、ぽかんとした表情で私を見ています。或いは私の背後のなにか別のものを見ていたのかもしれません。

「やあ」
そう声を掛けた私を、あなたは今だ不思議そうな眼差しでじっと見つめていました。本当は数秒だったのでしょうが、あまりにも長い時間見つめられていたので、もしかしたら私が誰だか分らないのかもしれないとさえ思いました。

「五年ぶりね」
「元気?」
 なにを話せばいいのか分らない私は、間の抜けた質問をしたのでした。この二行の会話にどのくらいの時間がかかったのかも憶えていません。太陽は完全に姿を消し、銀杏の木も街のビルも遠くの山々も渾然とした闇に混ざり、その中に我々は立ちすくんでいたのでした。あなたは私に向けていた目を黒い舗道に落とし「ゼンゼン」と一言呟いたのです。それが「全然」という意味だと分からない私は、次の言葉をじっと待っていました。でも、あなたはもう一度「ゼンゼン」と呟くと、スカートの裾を翻らせて暗闇の中にゆっくりと消えていったのです。

そんな夢でした。

敬具』