シテ・ユニベルシテール


 パリ14区の留学生用の住居が立ち並ぶ地域を散歩した。「国際大学都市」と呼ぶらしい。復活祭の翌日がどうして祭日なのかは知らないけれど、今日は休みで学生の姿もまばらだった。それにしても、非生産的であることを宿命付けられた学生というのは奇妙な存在である。超新星が、星の誕生のように見えて実はその最期であるように、学生という一群の若者達が輝いて見えるのは、一つの生の終わりだからかもしれないな。私たちもその時期を通過した。長く果てしがないように感じられた。酒を飲んだり本を読んだり音楽を聴いたり旅をしたりバイトをしたり夜の盛り場を徘徊したり、「シジフォスの神話」のような「賽の河原」のような果てしない夜と朝の繰り返しだった。なにも生まないしなにも殺さない。いや、乳母車を押しながらキャンパスを歩いている女学生もいたし内ゲバで多くの活動家が死んだと云うかもしれない。それでも、学生はなにも生まないしなにも殺さないのだよ。その非生産的で無償の時期も、いずれ終わる時がくる。上手くいけば、やがてばらばらになった超新星の残骸は、長い時間をかけて新しい星へと姿を変える。あくまでも上手くいけばの話だ。

 今年は「68年5月」四十周年らしい。フランスでは「五月の子供達」の話題があちこちで呟かれている。本もたくさん出るらしい。それは遠い昔に終わったことなんだけどな、、、。