ビクトール大通り


 ボンマルシェというパリの高級デパートのポスターはいつも垢ぬけて洒落ている。それを見ていると、70年代の渋谷のパルコを思い出す。渋谷の繁華街の中心が公園通り方面に移る過渡期で、街の様相がガラリと変わろうとしていた。109も東急文化村もなかった。道玄坂界隈はどんどんと寂れていった。当時百軒店のストリップ劇場を抜けた先に「BYG」というロック喫茶(死語?)があった。地下でライブをやっていたし、昼間はスタジオとして若いミュージシャン達の熱気でむんむんしていた。二階は根の暗そうな薄汚い若者がうつむいて大音響のロックを聴いていた。そう言えば「ブラックホール」というしゃべると怒られそうな店もあったな。客はみんななんか難しい顔をして、音楽を聴いているか本を読んでいるかだった。何が楽しくてあんなところで金払って何時間も苦行のような時間を過ごしていたのか、今となってはトント思い出せない(ホントは思い出す(笑))けど、やがて開けてきたパルコを中心にした公園通りの風通しの良さに、なんとなくホッとした覚えがある。そうだよなあ、太宰は「明るさは滅びの姿だ、人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ」とかなんとか実朝に云わせていたけれど、源氏のように暗く生き抜くのも結構つらいもんで、平家のようにぱっと散る魅力も捨てがたいな、と思った記憶がある。

「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ」 西行

パリは暗さも明るさも併せ持った桜の花のような街だ。